ゲーム屋雑記

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THE LAST OF US PART2が失敗したこと

THE LAST OF US PART2(以下ラスアス2)が燃えている。未来の話は分からないが、本稿執筆時点ではかなり派手に炎上しているといって良いだろう。

metacriticのuser score(※1)も現時点で4.5(リリース時点では3.4とかだったはずなのでだいぶましになったな?)であり、この手のAAAタイトルとしては異例の低評価と言って差し支えない。参考まで、体感でそこそこ賛否両論あった直近のAAAタイトルのデスストランディングのuser scoreは7.2(※2)である。

 

まあ、シナリオライティングしたNeil DruckmannとHalley Grossのインタビューを読む限りでは別にそれで良いつもりなのかも知れんが、残念ながら俺はnaughty dogsに勤めているわけでは無いので、同じノリでゲームを作るわけにはいかない。会社が潰れる。

ので、ラスアス2が何故失敗したかの自分なりの分析を残しておく。(当たり前だがネタバレを含む。ラスアス2以外のゲームもあるので注意、一応迷い込んでくる人が居たら困るので)

 

本格的な分析に入る前に、良かった点も挙げておく。

・グラフィックは流石に素晴らしい。ポストアポカリプスものを語るなら触っておいて損はない。

・感染者がちゃんとグロい。バイオRE:2とかも良かったが、ちゃんとクリーチャーがクリーチャーとしてグロいのは大変良いことである。

・アクションシークエンスに大きな問題がある訳では無い。個人的な好みを言うとTPSヘタクソ芸人なのでもうちょっと敵の思考が優しいと嬉しいのだが、まあ難易度設定あるし、今時CSのゲームやる層の平均は俺よりゲーム上手だと思うのでまあこのくらいの殺意があっても良いと思う。

 

よし、いっぱい褒めたな。本題に入ろう。

 

■ラスアス2はどこで間違えたのか?

 先によくある批判を潰しておく。ラスアス2は所謂「ポリコレ忖度」が原因で失敗したゲームではない。エリーがレズビアンである事は前作のDLC「Left Behind -残されたもの-」で示されており、生来のLGBTでなくてもラスアス1のデビッド絡みのエピソードを踏まえただけでも、少なくとも男嫌いになっても違和感はない。

また、本作のテーマは「愛」「復讐」「赦し」の3つに集約できると考えているが、これらのテーマ自体も普遍的なもので、凡庸なものであるという批判は有り得るが、テーマ自体で燃えたわけでは無い。(というか極論愛だけでも語れる)

ラスアス2の間違いは、ゲームという媒体の双方向性の軽視と、ストーリーテリングの拙さにある。

 

■胸糞悪いゲームはダメなのか?

ラスアス2は陰鬱なゲームだ。胸糞悪いと言い換えても良い。ジョエルは殺され、エリーは復讐を果たせず全てを失い、ジョエルを殺したアビーは復讐の連鎖から「一抜け」する。

この手のゲームを作るのはかなり難しい。何しろネガティブな感情をユーザーに惹起させて、その上でポジティブな評価を得るという離れ業をこなさなければならない。

とはいえ、それに成功したゲームが無いわけでは無い。その例として、「Spec Ops: The Line」(以下Spec Ops)がある。

Spec Opsのストーリーの陰惨さはラスアス2に勝るとも劣らない。例えば白リン弾を撃ち込んだ後のシーンを挙げるだけでも、立派な「胸糞ゲー」の称号を得られるだろう。

だが、Spec Opsのシナリオの評価は非常に高い。これは、単なる「胸糞ゲー=クソゲー」という図式が成立しないことを示している。

Spec Opsとラスアス2の大きな違いは、Spec Opsの陰鬱な展開が、プレイヤーの手によって成し遂げられることだ。

白リン弾は(対象が何であるかを理解しているかは兎も角として)プレイヤーの操作によって撃ち込まれ、同胞である米兵を殺すのもプレイヤー自身だ。実際にはゲームのシナリオにやりたくないことを「させられている」にも関わらず、精々「どちらを殺すかを選ぶ」程度の自由しか与えられていないにも関わらず、プレイヤーに自由な行動を許す事で、その事象は「プレイヤーが主体的に行ったこと」と感じさせられる。

 

さらに言えば、Spec Opsは「目標を達成すること自体が出来なくなる」、或いは「達成したと思ったが、実は達成できていなかった」状況が続くのに対し、ラスアス2は「目標は達成できるが、シナリオによって(さらに言えばプレイヤーの介在できないムービーシークエンスによって)達成できない」状態が続く事も大きな違いだ。アビーがジョエルを殺す時、エリーを操作して抵抗できことは、(それが結果に反映されるかどうかとは関係なく)大きな没入感と納得感を齎しただろう。

まあぶっちゃけて言えばラストなんだが。100人自分の手で射殺/ステルスキルしてきて最後にアビーを殺す選択を取らなければ復讐の連鎖が途切れるってなんの話だ。

 

逆にこの辺の「操作できないストレス」、Ken Levineの述べるところの「プレイヤーに対する最大の侮辱」を逆用して最高のシナリオに仕立て上げたのが、最早伝説の域に達した初代Bioshockの「恐縮だが」というやつだ。(この記述、軽く漁ったんだけどソース見つからなかったので捏造の可能性がないではない。元インタビュー読みたいな)

正直ラストで操作を奪われたところからエンディングまではBioshock並みの衝撃を受けた。逆の意味で。一本道なのを悪いとは言わないし、結末そのものがダメなわけでは無いが、プレイヤーに納得感を持たせることには失敗していると思う。少なくとも今の反応を見る限りは上手く行ってるとは思えない。 

 

ストーリーテリングの失敗

もう一つの失敗は、さんざん言われてるがアビー編だ。先にエリーでアビーに復讐するためのゲームプレイをした後に、それを中断してアビー編をやらせてくる。

でも誰がアビーを操作したいと思う?さっきまで殺そうとしてた奴を操作できるとして、そいつが死んだらハッピーエンドでは?という思いを抱くのはある種当然では?

しかも性質が悪いことに、アビー編は1のジョエルをシナリオ的にもシステム的にもなぞる様に進行する。「アビーとジョエルは、立場は違うけど同じなんだ」という事を伝えるためだ。でもプレイヤーが操作したかったのは、そのアビーに殺されたジョエルな訳だ。これが余計に反感を買う。俺はお前を早く殺したいんだよ。

 

ダブル主人公で片方がラスボスという構成はあまり記憶にないんだが、ブレスオブファイア4は良く出来ていたと思う。リュウとフォウルという2人の主人公を交互に操作する訳だが、最初は関係性の見えない2人の主人公の旅路を交互に描き、最後の最後で顔を合わせるという構成になっている。記憶が正しければ、先に戦闘を行うのはフォウルだったはずだ。多分そうしないと2人を公平に見られないという意図での設計だろう。その位、「2人目」には気を配らないとダメだ。

※追記(2020/6/29):そういえばラスアス2の一番最初の戦闘もアビーだったな…と見返してて思った。とはいえ、RPGの「最初の戦闘」とTPSの「最初の戦闘」は大分重みが違うけど。雪合戦もあるし。

  

で、ラスアス2だが、最初に散々時間をかけてアビーに対する敵意を煽っておいて、中盤でいきなりアビー編を挟む。しかもそこまでのエリーの操作時間と同じくらいアビーを操作する。大半のユーザーは「させられる」という感覚だろう。それでアビーへの感情移入をしろというのは無理がある。

 

以上2点が、ラスアス2がクソ程叩かれている理由だと考える。シナリオの筋をそのままにしても、多分いくらでももっといい着地のさせ方はあると思うし、少なくとも最後までやってもエリーがアビーを殺さなかったのには納得いかなかった(俺は)。

ユーザーの感情の振れ幅を最大化することには間違いなく成功しているが、それをもって成功とは言えないだろう。

 

※1https://www.metacritic.com/game/playstation-4/the-last-of-us-part-ii/user-reviews、2020/6/26閲覧

※2https://www.metacritic.com/game/playstation-4/death-stranding、2020/6/26閲覧

※3『「このゲームが嫌われても構わない」『The Last of Us Part II』制作陣、野心的な企み語る』https://theriver.jp/the-last-of-us-part2-dirty/、2020/6/26閲覧